倫理【2】ベンサムの功利主義

 

功利主義者ベンサムは行為の判断基準として行為の結果を重んじた。その考え方による発言として最も適当なものを、次の1〜4のうちから1つ選べ。(2009年本試験改題)

1.「私は、どんな状況下でも嘘をつくべきではないと考えているので、自分に不利益になると思っても、正直に話をすることにしている」

2.「自分の行動が正しいかどうかに不安を覚えるとき、私は、その行動をすることによって人びとの快楽の量が増えるかどうかを考える」

3.「社会の幸福の総和が増大するとしても、不平等が拡大するのはよくないから、まずは個々人の平等を実現すべきだと、私は考える」

4.「私の行動原則は、その時々の自分の快楽を最大にすることだから、将来を考えて今を我慢するようなことはもったいないと思っている」

【解答】

【解説】

センター試験の実際の問題では、カントに関する出題の流れでベンサムに関することが出題されました。受験生的な頻度のことでいっても西洋の近代哲学を考える上でも、カントの思想は重要です(個人的にはヘーゲルと並ぶくらい。どちらも難しいですけれどね…。)。カントの思想はなかなかに難しいので、彼の思想の対比として学んでおくとわかりやすい(?)ベンサムをまずは取り上げてみました。

功利主義とは一体何なのか。

②ベンサムは「快楽計算」という考え方でどんな社会を目指したのか。

この2つのポイントを知っておけば、きちんと正解できるので、あまり難しい問題ではありませんが、ここをしっかりと理解することで先ほど書いたようにカントとの比較ができますので、カントの思想を学ぶ際の助けとなるはずです。

まず①について、功利とは何のことでしょうか。よく「有用性」という言葉が使われます。有用性とは役に立つという意味ですね。つまり、行為の善悪を役に立つかどうか、言い換えれば自分を快楽や幸せに導いてくれるか不幸にしてくれるかで判断しようという考え方を功利主義と言います。

例えるなら、募金活動をしていた人にとって、小さい子がなけなしの小遣いから出してくれた「心のこもった10円」と大金持ちが嫌そうな顔をして仕方がない感じで募金してくれた「心のこもっていない1万円」。どちらかを選ぶとしたら嬉しいでしょうか。色々な考え方があっていいのですが、ベンサムの考え方によれば、「心のこもっていない1万円」のほうが役に立つ(=有用性がある)のですから、そちらの方がいい!というようになります。皆さんはどう考えるでしょうか。よって、上の問題の1の選択肢を見ると「不利益」が発生しては、功利主義に反しますので、1は不適切な文だと考えます。

次に②のポイントです。「快楽計算」とは何か。ベンサムは快楽は数量で表せる、計算できるものなんだと主張しました。これを「量的功利主義」といいます。数量で表せる以上は、より多くの幸福が集まった社会こそが理想的な社会だと判断できることになります。なので、ベンサムは、個人の幸せを全て足し算したもの(総和)が最大となるような社会、「最大多数の最大幸福」を社会道徳の原理の中心に据えました。よって、4の選択肢のように自分の幸福、快楽だけを考えるのではベンサムの考え方には当てはまりません(社会全体の幸福を求めないといけないと考えたベンサムは普通選挙の実現に尽力した人でもあります。)

ここまで説明すれば、2が正解だというふうにたどり着けるでしょう。では、ちなみに1の文はどのような考えを指しているのでしょう。これは実はカントの考え方です。カントは動機を大切にしています。結果的に自分に悪いことがふりかかってきても正しいことをしなさいという考え方です。先の募金の事例でいえば、心のこもっていない募金なんか意味がない!とカントは言うでしょう。結果的に何をしたのかではなくて、正しいことをしようという動機が大切だとカントは主張しています。そして、その逆に結果的に利益になることを重視するのがベンサムなんです。動機主義のカントと帰結(結果)主義のベンサム。このような対比で考えるのもおもしろいかもしれません。

 

■参考:カント、自律的自由、義務の動機。 マイケル・サンデル「ハーバード白熱教室講義録(上)」その7 http://d.hatena.ne.jp/s_k_literacy/20120115/1326624793 手前味噌で恐縮ですが、以前のブログでサンデルの講義録をまとめていた頃の記事です。カントについて知りたい人はどうぞお読み下さい。